父の命を諦める
父親の余命が短いと知ったとき、あなたはどうしますか?
絶望する
諦める
途方に暮れる
ぼーっとする
これから何をすればいいのかわからない
諦める
途方に暮れる
ぼーっとする
これから何をすればいいのかわからない
誰だって父親が死ぬわかったとき、どうすればいいかわかりません。
父親の死を目前に迫った体験を参考にして自分の親の死に対してのこ心構えの整え方をお伝えします。
【あきらめや】です。幸せに生きたい人に、諦めるコツをお伝えしています。
諦める意味は、物事を明らかにすることです。
父の命を諦めて、自分の家で看取ることを決めた
いままで元気でいたいた父が胃癌で死んだ
どのように自分の親の最後を受け入れるかを自分なりに考えてみました。
人は必ず死にます。それも100%です。
「生まれるときも死ぬときも人間は一人だ」と言われていますが、家族があろうがなかろうが、人にお世話になることは間違いありません。
自分が生まれたときは父親にお世話になり、父親が死ぬときは自分がお世話をするそれが当たり前なのかとごく自然に思いました。
では、どのように多くの人と関わり、対応して命を諦めることを選んでいくかを考えることにします。
命を諦めることは不安です。それでも諦めることが安心につながることは数多く見つけることができるんです。
もしもあなたの親が、胃がんなり余命宣告を聞いたときに参考になれば幸いです。
心配しなくても「どうにかなる」もんですよ。
まずは、安心してください。
まずは、安心してください。
親の介護が必要になったときの考え方と諦め10選
1,まず一番に、家族のことを考える
我が家では、母がリウマチでほぼ寝たきりの状態で父が母の看病をしていた。その後、まもなく父も体調を悪くし病院で検査したら胃がんである事がすぐわかった。
「余命半年」。
父と母、そして自分と妻子供。
ひとつ屋根の下、同居しているのが最近では珍しくなった家庭環境です。
まずはじめに、家族全員でこれからのことを考えました。(父親をのぞいて)
・母の看病をどうするか(母はリウマチ)
- 妻は、パートをしながら食事、身の回りのことをできる範囲でする
- 子どもたちは、時間があれば顔を出す
- 自分は、毎日父親の状態を確認する
・父の病気のこと
病院に入院して治療をすることにした。
抗がん剤の使用または手術。
担当医は抗がん剤の検討を進めた、父と相談したが病院嫌い薬嫌いの典型的な古い人間で、抗がん剤の治療は拒否、手術も拒否。
これでは入院して治療することができない。担当医と相談し、父親を説得し手術を検討することになった。
その後、外科医から説明があり放射線検査のCTで膵臓と他の臓器が癒着していることが判明。急遽手術は中止となる。
そこで、セカンドオピニオンの提案。
セカンドオピニオンは?
患者自身が納得のいく、最善の治療方法を見つけるための手段のひとつです。今の主治医ではなく違う医療機関で病気の診断や治療方針を聞ける第二の意見なんです。
セカンドオピニオンは、絶対に受けなければいけないものではないので安心してください。あくまでも今の病気に関しての手段です。(希望があれば)
父親はセカンドオピニオンなしで、現状状態の改善を検討するようにお願いした。
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入院、治療、手術を諦める
父親に胃がんが進行していて手術ができないことを伝えた。
はじめは残念そうであったが、気分をすぐ変え「なら、しょうがないな」で会話は終了。
父は退院して、家に帰ってきた。
父を家で看病することになることを家族全員で理解し、受け入れるようにした。母も喧嘩ばかりしていた父がいないほうがせいせいすると言っていたが、家に帰ってきたら何故か安心した顔をしていたことに、僕は笑みがこぼれた。
こうやって、二人の親の介護が自宅で始まった。
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介護の現実
2,病院、それとも自宅?死に場所を選ぶ
家に帰ってきた父は、庭の手入れをしながら家でのびのびと生活をしていた。
この状態は、数ヶ月で終わりを迎えることになる。
ここで重要なのは!
※絶対自分一人でどうにかしようと考えないこと。これをすると息ができなくなります。なんでわかるかというと、自分が始めそうしていたからです。
恥ずかしい話ですが、当初父親は死なないと思っていたからです
「自分一人で抱え込まないでくださいね」自分が崩壊します。
僕はこの言葉を知らなかった。家族も!
我が家は介護で一時崩壊しました。
元に戻ることはできますが、何もはじめから崩壊しなくていいでしょう。
親の介護は自分がやるものだと思い、他人には関係ないものという思い込みがあったからです。
自分と家族が介護崩壊しない方法
- 親でも他人と思うこと
- 何でも言うことを聞かない
- 元気な人を最優先にする
- 介護のためにすべての時間を使わない
- 残される人の事を大切にす
結構厳しいですが、親の介護を最優先にはしないことです。
なぜなら
最優先にすると自分と家族が不仲になります。
「誰がする、しない」という問題のなすり合いが始まるからです。
家族の関係が悪くなる前に、近くのクリニックや医院に相談して、介護施設やケアサービスを必ず利用してください。
プロのスタッフの手際良さは、素人が10やらなきゃいけないことを1で解決してくれます。それだけ時間を違うことに使うことができます。(時間の有効化)
周りの人に頼ってください。心配することはありません。
誰にも言えないけど、心配なのは「お金」ですよね。
- 親の貯蓄
- 介護保険
- 自分の貯蓄
- 借り入れ(介護ローン)
自分の親に貯蓄がなかったので、自分の貯蓄や収入を使いました。
親の微々たる年金も役に立ちます。
親の意識があるときに、銀行、郵便局などの預金番号などの確認ができるように本人と話しておくことが重要です。
親の意識があるときに、銀行、郵便局などの預金番号などの確認ができるように本人と話しておくことが重要です。
介護保険を使うには条件があります
お金は集めれば集まるもんで、心配しなくてもどうにかなります。
介護用のローンもあります。
大切なのは、自分と家族です。まず最優先に行動します
大きな病院とクリニック、医院、介護施設、ケアサービスの連携を取ることで
病院で看取るのか家で看取るのかを決めていきます。
父がポツリと言ったんです「病院なんかよりも自分の部屋で死にたいな」
この一言で迷いは一切なくなりました。
父に恩返しする時期が来た。と勝手に自分に自信が持てたんです。
そうと決まったらできることをプランニングしていきます。
食事
胃がんだったのでフードプロセッサーで食べ物を砕いてペースト状にしたものを出していました。また、本人が好きな羊羹をよく食べてくれました。
担当医や地域の医師と相談して、胃管チューブ、胃ろうはやらない状態で自然に任せることにしました。食べれなくなればそれで終了です。
排泄
毎日、看護師さんが家に様子を見に来てくれるので、すべておまかせしました。
投薬
訪問看護師さんにお任せです
生活
往診では体調管理。着替え、シーツ交換は、訪問看護師さん。
父が希望する買い物や欲しい物は家族が分担で対応していきました。
家族の対応を最小限にする
病院で看取るのではなく、自宅でも周りと協力することで自宅ので介護は可能になります。
3,家族との関係を考える
一番重要なのは同居している妻の負担です。
妻は結婚にあたり、同居に賛成してくれました。
それでも生活をしていくと、やはり他人の親、気を使うようになります。
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介護に入るまで15年という歳月でどうにか関係はできていましたが父というより、母との関係、嫁姑問題が重要となります。
父の介護で橋渡しの中心人物は妻が主に担当しました。
介護士、看護師、ケアマネージャー、など多くの情報交換役です。
母もリュウマチでほぼ寝たきりなので、その相手もしながら父の病状の情報交換をしていました。
家に寝たきりの老人を二人相手にするには、妻としては重圧がありすぎるのでパートをしてもらい家を出る時間を作りました。
なぜなら、少しでも自分の時間ができるようにです。
子供たちは、母親がいなくても自分たちで身の回りのことをしてもらうように協力してもらいました。
重要なのは、妻の体調管理です。
- 疲労をためない
- ストレスをためない
- 友達と食事に行く
- 外で働き家と違う時間を作る
- 睡眠をとる
これは妻として子供の母として自分を見失うことを防ぐためです
4,金銭的な問題を洗い出す
自宅での介護でやはり重要なのは金銭(お金)です
これ、結構心配事になります。介護と聞いて一番最初に頭に浮かんだことが
(お金)でした。
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お金は大切なこと
僕も働いているので、それなりの貯蓄はあったが、子供の教育資金用で介護までは想定していなかったのが事実です。
- 母と父の年金がどれくらいあり使用可能なのか
- 保険などは使えるのか
- 所持金または各自の貯蓄はどれくらいあるのか
これらを調べ、月にどれくらいの費用がかかるかを洗い出してみます
- 食事代
- 介護費用
- 医療費
- 薬代
大体、二人の年金でどうにか間に合う金額です
それでも、母の介護は別途記述しますが費用がかかります
そんなにビビらなくても、どうにかなるもんです
両親に貯蓄がないことは諦める、今できることを考えていきましょう
5,自分の生活を変えていく
時間を諦めて、時間を作る
サラリーマンであれば、仕事の自由度はあまり期待できません。そこで、職場の福利厚生に、介護用の時間制限就業規則などがあったら利用します。
介護休暇や、休職もありますが、給料が止まることもあるので避けた方がいいでしょう。
給料がなくなると介護にかかるお金が足らなくなる可能性があります。
フリーランスの方は大丈夫だと思いますが、サラリーマンやOLの方は利用してみてください。
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利用できるものは利用すましょう
介護はずーっと一緒にいなければいけないということはないので、その辺は介護の状況に合わせます。僕は一日いる必要なないので数時間でできることを考えました。
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時間は有限、できることと、できないことを分けて考える
介護ヘルパーさんや看護師さんに多くのことはお願いして。そのほかのことに時間を使うことができれば無駄な時間を使わなくてもいいことがわかったんです。
仕事と介護を継続していくには、自分の休養も必要です。
空いた時間を作って、休憩や、睡眠時間を確保するように心がけましょう。
仕事での残業やお酒の席などは極力遠慮していました。
お酒の席はどうしても必要だろう(歓送迎会、冠婚葬祭)は出席します。
仕事も大切ですが、介護もする。
両方を同時にはできないので、できることできないことを分けて時間配分をします
他の仕事でこんな事できるわけないじゃないか、たまたま福利厚生があったからできることだろう、とお怒りを受けるかもしれませんが、自分で時間を作るように努力しなければ介護は乗り切ることはできません
施設に入れば楽ですが、今回は父の希望を優先したため自宅での介護になりました
自宅介護は作業の連続です。
介護の改善
自分だけとは思わないこと
役所で相談、病院で相談(無料です)
心配せず人に頼ること(恥ずかしいいことではない)
自分一人でやることを諦める
家族で乗り越えることも、諦める。
元気な家族を守るためです。
まとめ
- 仕事の時間を少し諦めて、空いた時間を介護に使う
- 仕事を休まなくてもいいように時間調整をする
- 自分ができること、できないことをはっきりさせる
- 休養、睡眠時間を確保する
6,家族に協力を得る
一人で悩まず、家族に相談することで新たなひらめきが出ることがあります
僕には妻、子供たち、寝たきりの口だけは達者な母、遠くにいる姉たちが、多くの困難を小さいものに変えてくれる助言をたくさん持っている。これらの助言をやてみてダメならまた違うことを考える。
お互いが、いい関係であることが大切
あたりまえの介護が最高にいいです
小さな最強のチームの重要性
- 現状の改善
- お金の相談
- これからの時間の使い方(余命が短い)
- 食事のメニュー
わからなければ、皆んなで考えて、少しでも前に進むことを考えます。
日常の不安などの相談は小さなチームでも機能はします。
話し合った事項を、看護師やケアマネージャ、介護士などど連携を取りながら
介護される本人の生き方のサポートをしていきます。
★一人で悩むことは諦めて相談しましょう。自分で抱え込むと苦しくなり、家族の中がが悪くなり喧嘩の元になりやすくなります。
小さなことでも険悪な状態にすぐ入りやすくなります、予防は分担作業や補うことですが
介護はこうでなければいけないという「なければいけない」言葉をつけるだけで不満が溜まる原因になります。
目の前にあることが全てです。それ以上でもそれ以下でもないことを理解することは大切です。
7,どこまで治療するのか
父の病気は胃がんだ。余命は半年か、もっと短い。
つまり、いつのまにか末期ガンになっていた。
はじめはまだ元気だか、次第に食事ができなくなり
だんだん歩けなくなり、寝てばかりの生活になり
トイレもいけなくなり、衰弱して死んだ。
在宅介護の必要性は?
- 余命半年をどう過ごすか
- 痛みをないように生活するにはどうするか
- どこまで治療するのか、したいのか
父は病院嫌いだ。今まで簡単な病気は自分で生活を変化させて対応しながら完治させたという自信がそうさせているかは疑問である。
睡眠を重要と考え、今ある他の細胞を元気にさせてその他を補うことを考えていたらしい。
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骨折時は変形を自分で直し、包帯を巻いて直すなど、とにかく病院には行かなかった。
虫歯は自分で抜いていた。
原始的なやり方でびっくりさせられることが多く、手に棘が刺さってもわざわざ取らない、細胞がいらないものと判断して化膿し、異物が出るまで待つという荒行をしていた
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とにかく自分の体を最大限に利用して、今あるもの、今できることを考えながら行動していた。
その姿は鬼そのもの、こちらが助言をするなら、鬼の形相で全く人の意見は聞かない
それでも、たしかに病は消えていった。
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これが父から学んだ「自然治癒力」?なのか!
そんな立派な言い方ではないか(笑)
通常の痛みにはある程度対応できそうだが、ガンとなると状況は変わってくる。
最近では副作用の少ない抗癌剤があるので、利用するべきでしょう。
父はそれでも利用拒否した。
ガンは増殖して胃を固くし閉ざしていった。
食事は流動食を家族で作りながら食べさせていたが、最期には水も飲めなくなり
点滴で水分は補った。
しかし、あまり水分が多くなると体に負担があるので点滴も少なくしていった。
次第に衰弱していった。
それはまるで、植物が枯れるようにだ
父は病院が嫌い、治療も嫌い、本人を尊重してすべての
治療を諦めた。
今までの考え方を変えることにした
- 人はいつか必ず死ぬということ
- 死が早いか遅いかの差だけということ
父は今、死ぬ時期が来たのだと思い、間近な死をどうすればいいかと考えると
多くのことをあきらめることで、今できる最善を選ぶことができるようになる
- 痛みだけは最小限に抑えること
- 生活を家庭に重きを置くこと
- 本人が安心して生活できる環境を考えること
多くのことを諦めることで、その先に新しいことをやってみようという希望が湧いてくる?
なんでだろうか?
普通は諦める事が、残念で仕方なく落胆するものである。(生きる執着)
今は、そうは考えなかった。
時間が限られていることで、今できることを最優先で模索することができる。あれこれと
諦めて、出てきた希望
それが「丸山ワクチン」
丸山ワクチン?「何にそれ!」母、妻も声を揃えて言った。
もう何もすることがないので、「痛みだけを軽減したい」と調べていたときに
出てきたのが「丸山ワクチン」だった
そこで早速、日本医科大学付属病院ワクチン療法研究施設に相談して
資料を集めることにした。
胃がんの診断を受けた、大学病院の担当医に相談したら。
「在宅医師に相談してください」とのことでだった、医療情報の提供をお願いしした。
在宅医師に相談し、丸山ワクチンの協力を得ることができた。
ワクチン注射は在宅医に任せることにした。
丸山ワクチンのことを父に相談した。
「もうできることはないよ、最後に痛みが出ないようにワクチンを打とうと思うけどどう?」
父の反応は早かった。
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「やるよ、痛みだけは嫌だからね」
どうすればいいの?
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「安心して、腕の皮下に少ない量のワクチンを打つだけ」
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これは治療じゃなくて、今ある細胞を元気にさせるんだよ!
この一言で、即納得してくれた!
それからすぐに、丸山ワクチンの皮下注射が始まった。
皮下注射の抵抗を心配していたが、注射自体は苦にはならなかったようだった。
皮下注射をすると、痛みに関しては安心できるようであった。
全ての治療を諦め、新たな希望を感じた。
そのまま時の流れに任せ、月日はゆっくり動き始め今までの心の騒つきは、いつのまにか静かになっていきました。
家族にも笑顔が出るようになり、父のことを受け入れるようになってきました。
8,お墓を探すのはいつ頃から
まだ生きているのに、お墓の話なんかすんなよ!と言われるかもしてません
でも、人はいつかは死にます。
そうやって人間は今まで生命をつないできたわけです。
お墓は大切な選択肢の一つです。
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現在すでにお墓を持っているなら問題はありません、そのまま今のご先祖様と一緒で大丈夫ですが、お墓がないのであれば早めに準備することをおすすめします。
なぜなら、まだ元気なら良いのですが病状が悪くなると、どこかに行ったりすることが難しくなります。病院であろうと在宅であろうとその状況は変わりないでしょう
状態が悪くなると、その対応で他の事まで気が回らなくなります。
それでも、お墓はあとにするというのでも、全く問題ありません。
骨になった状態からお墓を探しても大丈夫です。
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動けない母は口だけは元気なので、どうしても自分が生きているうちにお墓を決めたいという要望があったので動き始めただけです。母もいつどうなるかわからないことを自分でわかったのでしょう。
それから一ヶ月、探し回って家からは遠いのですが、大きなお墓を購入しました。
母は「これで安心して死ねる」と言っていました。
以前は、「お墓なんて買ったらすぐお迎えがくるからお墓は買うな」と言っていた本人がお墓購入に積極的だったので驚きです(笑)
状況によってお墓の購入時期を考えてもいいですし、あせることもありません、ただすんなりと納骨まで済ませたいならお墓を前もって購入することをすすめます。
9,自分の精神状態の持ち方
はじめに父のガン宣告には動揺した。
ノンアルコールで酔っ払った気分みたいなな、変な感じ。
広い土手を夕日を見ながら犬の散歩をしていた時、「これからのことをどうすればいいか」、あてもわからず、父が大好きな犬に話しかけながら、泣いた。
父の知り合いに聞いた話ですが、突然朝早く父が玄関に現れて、「俺、胃がんなんだ」と言いながら泣き崩れたそうです。
僕には気丈に振る舞っていたのに、本当は不安でたまらなかったんでしょうね。
死ぬ間際にも、「俺、死ぬの怖いよ」とぼそっと言ったのを思い出します。
丸山ワクチンを利用するようになり、毎回「痛みはどうだい、苦しくないかい」という問いかけには、まるでも病人とは思えないような口調で「大丈夫痛くないし順調」と答える、何が順調なのか疑問なこともあった。
それがいいのか?わからないが、一時は、「カツ丼を食べる」と言い出し、妻が驚いて急いで買いに行った。カツ丼騒動もあった。
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カツ丼食べては、やっぱり「うまいなー」。と言ったそうです。
それでも、食べると戻していたみたいですが、自分が食べたいものを一口でも食べれてよかったのでしょう。それだけ丸山ワクチンは父にあっていたものと考えています。
食べたいと思ったものを「味わうことができた」
たったこれだけでも十分だと納得しています。
父や家族のことを考えすぎて自分のことをほったらかしにしたら、自分がうつ状態になっていることに気が付きませんでした。
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最近元気ないけど大丈夫?
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普通だと思うんでうが?
寝れてないことはことはありますけど
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一緒に温泉でもいかない?
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いやー父の事があるので、またあとにしますよ!
![](http://eikoto.com/z/wp-content/themes/cocoon-master/images/doctor.png)
じゃ、いつなら大丈夫なときが来るの?
これからもっと状況は悪くなるんだよ!
こその一言で、一日温泉ドライブに行きました。
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場所を変えると、考え方も少し変わり、いくら一生懸命やっても
今以上に元気になることはなく、現状を受け入れてその場その場で対応を考えるようにしようと、対応を変える決意ができました。
あとから、在宅医に聞いたのですが、相当深刻なうつ状態っだったらしいです。
それで心配になり声をかけてくれたそうです。
この経験から、在宅介護は人に頼っても知らずに自分の心と体がおろそかになり介護うつになりやすい状態であることがわかります。
この体験から、「だめなものはだめ」、「できないものはできない」
そう自分に「あきらめ」の部分を作ることの大切さを痛感しました。
仕事と介護を両立するには
- あきらめの行動をする
- 有効時間を考えて行動する
- 最優先順位を決めて行動する
自分なりの行動原理を活用すると、少ない空き時間ができてきます
その空き時間で音楽を聞いたり、楽しんだりすることに利用できることがわかったんです。
自分の時間を確保することで作業効率は上がってきました
- できないことはしない
- できことを最短でする
たったこれだけでも、介護に自信が持て、自分のメンタルコントロールもできるようになりました。
10,「諦め」は必要なこと
もし、自宅で介護を検討している人がいるなら一言お伝えします
- 自分ができること
- 他人にお願いすること
- 命の期限
- 介護をする人の距離
- 最後を看取ること
世間やメディアでは良いことを言っていますが
本当の介護は、暗闇の中を小さな光を求め歩くことだと感じています
病院での医療スタッフ、介護のスタッフには感謝いたします。
病人は、普通では考えられないほどわがままになり、無情になります
それが当たり前思えばすみますが、相手も人間、こちらも人間、嫌なことやりたくないこと、疲れているとき、元気ではないときもあります。その状況下での
「わがまま」、「暴言」、「無理難題」、など多くの困難が伴います
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どこかで線引きをして、「諦め」を取り入れなければ自分が崩壊します。
自分を守るためにも「諦め」は大切な「希望」になります。
うまくいくことはほとんどありません、ある程度のところで「諦め」ることで
うまくいくことがあります。
車で言えばアクセルとブレーキ、バックと動くのではなく、何もしない状態、ニュートラルの状態を作ることで、心の余裕を持つことができます
一生懸命やっているのに、文句を言われる
言われたことをやっているのに、怒られる
家族ですら、「怒り」「憎しみ」が出てきます
どうすればいいか!
そこで、自分のどこかに「諦め」る場所を作ることで
怒りや憎しみを今の自分でない場所に移動すると現状だけに
集中できます。
小さな事でも繰り返し集中していると、嫌なことも、大変なことも
薄れる感覚を覚えるときがあります。
部屋の空気を入れ替えすれば、淀んだ部屋の空気が一瞬にしてクリアーになり
気持ちも爽やかになります。カーテンを開けてば光が入り、ペットボトルに光が指し
テーブルに僅かな虹が出たり。
小さな事でも、なんか良いなー、ホッとするなーと思えるだけで
今日も「また、やるか」という気持ちになります。
現実は非常に厳しいでも、変えることはできないので受け入れて、
今自分にできることを少しでもいいから前に進むことができれば
もう、介護は成功です。
父は余命より半年以上多く生きることができました。
余命半年が、1年5ヶ月自分の部屋で最後を迎えることができました。
最後は、呼吸が小さくなったので家族で息を引き取るまでベッドの近くにいました。
更に苦しくなった表情が出てのでみんなで感謝の言葉を言って見送りました
その後、夜中だったのですが在宅医に連絡し死亡確認をしてもらいました。
![](http://eikoto.com/z/wp-content/uploads/2023/02/istockphoto-1367946645-170667a-500x333.jpg)
朝までオールナイト
それから明け方までみんなで母のカラオケセットを持ち出し
ありとあらゆる歌を歌いました。
その中で一番強烈で何度も歌ったのが何故か「東京音頭」(笑)
故人の目の前で目がだんだん白くなるのを見ながら大合唱しました。
故人に聞こえたとは思えませんが、家族全員の思いを歌に乗せて見送りました。
泣き顔に笑顔、なんとも不気味な大合唱でした。
命を「諦めて」やりきったことにみんなで感動したんです。
父の命を諦めることで、人としての生き方を考えるようになった。
人はいつかは死ぬもので、死を受け入れることができるかできないかで
その人の価値が変わってきます
今までの命にこだわることよりも、残された生きる時間を考える方が有意義に
なることがあります。近くにいる家族の感情も同じです。
生きとし生けるものの死は多くのことを無言で語ってくれます
そこから何を学び、何をするかが残された者の役目にもなります。
「終わりよければ全て良し」ということわざがあるように
物事には結末が大切で、その途中での事柄はさほど問題にはならないということ
を父の介護から学ぶことができたんです。
この生き方は、今まで自分が経験したことに照らし合わせると
反省することもあれば、納得できることもあります
その中の中心にあるものは「諦め」ることの大切さだったんです。
諦めることで、違う選択をすることを多く経験できました。
諦めが、マイナスのイメージになっているるのは
本当の意味での「諦め」を知らないからできる幻想なのでしょう。
本来の諦めは、物事を「明らかにする」ことのためにある「諦め」
そのことが得て体験できたことが父からの最後の教えだったのだろうと
考えるほかない。
人生で苦しいとき下記を参考にしてみてください。
↓