諦めることで、うまく生きる【3つの諦め】のコツ
諦める、諦めない。悩んだのに、諦めることができない。
どうにかうまく生きようとしても、うまくいかずに悩んでいませんか?
どうにかうまく生きようとしても、うまくいかずに悩んでいませんか?
それが、学校、仕事、恋愛、結婚、出産、教育、老後。
生きていると、諦める(断念)する場面に遭遇するものです。
でも、その解決策がわからずさらに諦めることができないのが人間です。
そこで提案です。
もしも、諦めることが簡単にできたら。
今回は、諦めることで、うまく生きる【3つの諦め】のコツについてお伝えします。
こんにちは、【あきらめや】です。幸せに生きたい人に、諦めるコツをお伝えしています。
諦める意味は、物事を明らかにすることです。
本当に求めているものはなんですか?
- ない
- 足りない
- もっと欲しい
この3つに気づけば、もっとこうなりたい、こんなはずじゃなかったという感情を諦めることができ、十分な自分が明らかになり、自分が好きになる。
今ある十分すぎる自分に気づく実験をしていこう。一つひとつ自分が持っているものや置かれている環境がなくなったらどうなるか、実験することからはじめてみる。
世界最小の組織「家族」
口うるさい親
聞かない子供
嫁・姑
夫婦
兄弟・姉妹・兄妹など
生きていて問題がはじめに起こり、死ぬまでついて回るのが家族。
そして、「思い通りにならない」と不満になる。
もしも、家族が突然いなくなったらどうするか?実験。
一週間誰とも話さない、これだけ。でも、何かしら話したくなるもので、そんな時に結構困ったことが起こり話さずにはいられない状況になる。
当たり前に話していることが、当然と思っていたものができなくなる。もし親が突然死んだら!親孝行していないことに後悔することになる。
家族はいるだけで、「幸せ」なことに気づくこと
家族が「ない」ほど寂しいものはないのだから。
話がずれるが、「グリーン・ブック」という映画がある。
有名な黒人ピアニストなのに差別を受けることになる。そのサポートに雇われた白人の運転手。初めは本人も黒人に雇われることに抵抗があったが、数々の差別を肌で感じ黒人ピアニストに影響を受けていくものだが。そのなかの一説に興味深い一言があった。
黒人有名ピアニスト
この映画は、実話から生まれたものなのでとても衝撃を受けた。
全てを手にしていても、結局一番大切なのは「家族」と気づく。
その家族に不満を持つのは、もったいないではないか。
食べ物
当たり前は幻
日本にはコンビニがあるのが当たり前で、普通すぎる。旅行で田舎に行った時や離島に行った時はコンビニなんかないので小さなスーパーや商店で買い物をすることになる。
はじめは、「なんだよ」と感じても時間とともにそれが当たり前になり不便さが普通になる。
食べ物だって食べたいものがすぐ食べられるのが当たり前、それがななくなっただけで不便を感じる。
面白いことに不便さも時間とともに順応していくから人間はすごい。ないなら、ないなりに自分で工夫したり考え方を変えて順応していく。その過程が楽しかったり不自由が良かったりもする。
食べたいものがないから、普段の生活を感謝して日常が突然非日常になる。これも小さな実験だ。
食べ物だけではない、大事な食べ物を食べる「口」、「舌」がなければいくら食べ物があっても味わうことができず食事を楽しむこともできない。どれも今あることを見直す実験だ。こんな実験に失敗もある。
失敗はダイエット
体系を維持するため、健康のためとダイエットをすこともあるだろう。でも、それは恵まれた実験だ。
食べたいものを我慢する。その我慢はあるものをないと思うからその反動もある。それが「ダイエットの失敗」。
食べたかったものを一瞬でも口にいいれた瞬間から「ダイエット」の文字は頭から消え失せる。今まで我慢したぶん、「まだ食べたい」「まだ足りない」今まで我慢したんだら大丈夫と欲望に従うことで、以前より体重は増えてダイエトの失敗に嘆くことになる。
せっかくダイエットしたのに、食べることでその量が「足りないと」食欲が旺盛になりダイエットを失敗する。
ホメオスタシス(恒常性)は元に状態に戻ろうとすることで、痩せても、元に戻るために食べ物が「足りない」と無意識に食べて結局元の体型よりもオーバすることがある。
まずは、すでに足りていることを意識しなければ、ホメオスタシスが発動する。
住んでいる家はどうなる
賃貸、戸建、マンション、など住む場所があればそれは「幸せなこと」となのにそれさえ忘れている。なら、住む実験をしてみよう。
もしも、今の住んでいるところが「ボロボロ」だとしたら「早く出たい」、「もっといいところ」で生活をしてみたい。こんなんじゃない広い住みかがほしいとなる
地震で倒壊したり、流されたり、落雷で家が燃えたり、車が家に飛び込んできたり、突然災害の被害者になることだってある。
住む家がなくなったり、長期の旅行、長期の出張など今の家を離れて戻った時の開放感を覚えていますか?多分ボロボロだけど自分の住みかに帰ってきたと「安心」できるはず。この安心が大切なのだ。
疲れた時、寒い季節に寝る場所があるだけで「感謝」したくなる。そこにあなた本来の自分に気づくんです。住めるだけで「幸せだ!」これだけで十分なんです。
雨風、強い日差しを避けることができれば十分なのに、もっと綺麗で豪華で機能的な家が欲しい。十分足りているのに「もっと欲しい」という欲が強くなる。
今ある状況で十分なことを知ることを忘れてはいけないのだ。
諦める大切さ
あるのが当たり前のものがなくなる。
そのときに「ありがたさ」「感謝」が生まれる。
この小さな気づきが心に安らぎ、安心、を感じ感謝が自然に湧き出し泣くことだってある。
食べるものがない時の一個の「おにぎり」は神様からのご褒美とさえ思える。
食べるものがない時の一個の「おにぎり」は神様からのご褒美とさえ思える。
余計なものを手にしよう、手に入れようと考えることを「諦める」だけで大きな「心の充足感」を得ることができる。